世界遺産「スプリット観光」
スプリットはカシテラ湾とスプリット海峡の間にある半島に位置し、温暖な地中海の魅力に包まれ、ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市です。 古代ローマ皇帝が造った、1.700年前の遺跡と、そこに住む人々との営みが渾然一体となった不思議な街並みで、世界でも珍しい歴史をもつ旧市街は不思議な情景を造る世界遺産です。 (写真は、ディオクレティアヌス宮殿… 2017.5.16)
ディオクレティアヌス宮殿
3世紀末、内戦の絶えなかったローマ帝国を安定に導いたディオクレティアヌス帝は、20年の統治ののち305年に退位。生まれ故郷のサロナに近いスプリットに宮殿を建て移り住みます。 宮殿の塀の高さ20m、215m×180mの強固な城壁で囲まれた領域で東西南北に城門があり、その門は「金の門」「銀の門」「銅の門」「鉄の門」と呼ばれていたようです。 7世紀にスラブ系民族の侵攻によりサロナが廃墟となると、逃れてきた住民が宮殿の石材を利用して新たな町を造り住み着き、スプリットは発展していきました。 現在のディオクレティアヌスの宮殿は、市民の憩いの場となり、ドーム天井の前庭や、皇帝の胸像や机、ローマ時代の水道管などが展示された宮殿地下など、随所に往時を彷彿させる遺構が残されています。 ちなみに13〜14世紀には、ディオクレティアヌス帝の霊廟は大聖堂へと姿を変えました。 そうして出来上がったのが、この街で、城壁の中に600人ほどの住人が実際に生活しています。 古代の遺跡とその中で日々の生活を営む人々。この不思議な光景こそがスプリット最大の魅力です。
3世紀末、内戦の絶えなかったローマ帝国を安定に導いたディオクレティアヌス帝は、20年の統治ののち305年に退位。生まれ故郷のサロナに近いスプリットに宮殿を建て移り住みます。 宮殿の塀の高さ20m、215m×180mの強固な城壁で囲まれた領域で東西南北に城門があり、その門は「金の門」「銀の門」「銅の門」「鉄の門」と呼ばれていたようです。 7世紀にスラブ系民族の侵攻によりサロナが廃墟となると、逃れてきた住民が宮殿の石材を利用して新たな町を造り住み着き、スプリットは発展していきました。
現在のディオクレティアヌスの宮殿は、市民の憩いの場となり、ドーム天井の前庭や、皇帝の胸像や机、ローマ時代の水道管などが展示された宮殿地下など、随所に往時を彷彿させる遺構が残されています。 ちなみに13〜14世紀には、ディオクレティアヌス帝の霊廟は大聖堂へと姿を変えました。 そうして出来上がったのが、この街で、城壁の中に600人ほどの住人が実際に生活しています。 古代の遺跡とその中で日々の生活を営む人々。この不思議な光景こそがスプリット最大の魅力です。