三井寺2025
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                2025.1.5. / 園城寺「三井寺」2004.10.20. / 園城寺「三井寺」

 

西国三十三所観音霊場第十四番札所「三井寺・観音堂」

 

総本山園 城寺「三井寺」

 

天台寺門宗の総本山。 金堂や西国三十三所観音霊場第十四番札所の観音堂をはじめ国宝や重要文化財などが多く残り、近江八景「三井の晩鐘」は日本三名鐘のひとつになっています。 春はソメイヨシノを中心に1000本を超える桜が咲き、秋は参道沿いの紅葉のトンネルが滋賀県有数の名所として知られています。 また観音堂へ上ると眼下に琵琶湖一望の景色を堪能することができ、四季折々の見所にあふれています。 これまで数多くの映画・ドラマでの撮影現場にもなっており、ワンシーンを思い描きながら散策するのもおすすめです。 (写真は、三井寺「観音堂」…2025.1.5.)晴れ時々曇り、気温10℃。

住所:滋賀県大津市園城寺町246。 TEL:077-522-2238。 拝観料大人:600円。

拝観時間、9:00〜16:30(16時受付終了)

アクセス:京阪電鉄/石山坂本線 「三井寺駅」 下車 徒歩 7分。 駐車場、普通車350台、500円。
三井寺(園城寺)のHPは、http://www.shiga-miidera.or.jp/




 
大門(仁王門) 食堂(釈迦堂)
国宝「園城寺(金堂)」 日本三名鐘のひとつ「三井晩鐘」

長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)「三井寺」

 

三井寺は正式には「長等山園城寺といいます。 天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位継承をめぐって争った壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子である大友与多王が、父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇より園城寺の名を与えられたとされています。 境内にある霊泉(井戸)の水が天智・天武・持統の三天皇の御産湯に使用されたことから「御井(みい)の寺」と称され、「三井寺」の由来となったとされています。
比叡山延暦寺との対立抗争や豊臣秀吉による寺領の没収などの歴史上の苦難を乗り越え、その都度再興されてきたことから「不死鳥の寺」とも称されています。 現在の三井寺の金堂は、豊臣秀吉の正室である北政所によって再建され、本尊として天智天皇の念持仏とされる弥勒菩薩(秘仏)を安置しています。 また「弁慶の引き摺り鐘」も有名で「弁慶の汁鍋」と呼ばれる大きな鍋とともに金堂の西側にある霊鐘堂に安置されています。 この鐘は平将門の乱で功績をあげた田原藤太秀郷が、三上山のムカデを退治したお礼として琵琶湖の龍神から貰ったものという伝説があります。 その後、比叡山との争いの中で弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると“イノー、イノー”(関西弁で帰りたいという意)と響いたので、弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまい、再び三井寺に戻されたものとされています。



 

 
唐院・探題灯篭 唐院・潅頂堂と三重塔
観音堂(南院札所伽藍) 観音堂の前の展望台からは琵琶湖が望めます。

西国第十四番札所「三井寺」

 

西国三十三所・第十四番札所は、三井寺。 琵琶湖と大津市街を一望する景勝地にあり、古くから文人墨客に親しまれてきました。 観音堂は、南院札所伽藍の中心建築で、後三条天皇の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えます。 その後、現在地への移築と焼失を経て、元禄2年(1689)に再建されました。 本尊で重要文化財の如意輪観音坐像は33年ごとに開帳される秘仏です。 本尊をまつる「正堂」と外陣に相当する「礼堂」を「合の間」で繋ぐ本瓦葺の大建築で、堂内には元禄期の華やかな意匠を施しています。



 

 
駐車場とレストラン 園城寺「石碑」 大門(仁王門)
金堂の前には天智天皇の左薬指が、台座の下に納められたと伝えられる「堂前灯籠」が立っています。 金堂「御朱印」 三重塔
弁慶引摺鐘 一切経蔵(一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています)。 西国第十四番札所観音堂へと続く参道。
微妙寺本堂 大津名物の「三井寺弁慶力餅」 西国十四番札所「三井寺・観音堂」石碑。
手水舎(南院札所伽藍) 「鐘楼」と「百体観音堂」 観月舞台
西国第十四番「三井寺・観音堂」 観音堂「御朱印」 鐘楼(南院札所伽藍)

 


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