■ | 萩城跡(指月公園) |
萩城跡は萩市街の西北隅にあたる指月山のふもとに位置する。 萩城は別名指月城とも呼ばれた平山城で、本丸・二の丸・三の丸および指月山頂に要害があった。 萩城は近世の当初には毛利輝元が築城した。毛利氏は関ヶ原の戦いに敗れたため、中国 8か国から防長2か国に減封された。 そして城を萩に築くことを許されて、慶長9年 (1604年) に工事に着手し4年後の慶長13年 (1608年) に完成した。 以後代を重ねること13代、敬親に至って幕末の多端な国事の処理が不便なため、文久3年(1863年) 4月に藩府を山口に移した。 明治7年 (1874) にすべてが解体されたが、石垣および堀の一部については、よく保存されている。 (写真は、萩城跡 「指月公園」… 2008.11.2) |
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松陰神社と松下村塾 |
明治23年に吉田松陰を祭って建てられた松陰神社。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したもので、旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っている。 学問の神として信仰が厚く、境内には有名な松下村塾、松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在。 吉田松陰幽囚の旧宅が隣接しています。 幕末、吉田松陰が主宰した松下村塾。身分の区別なく学ぶことができ、ここから幕末維新期に活躍し、近代日本の原動力となった数多くの逸材が輩出されたことは余りにも有名です。 |
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黄檗宗 東光寺 |
3代藩主毛利吉就が、元禄4年(1691)に造営された大伽藍で、山号を護国山といい、黄檗宗の寺で,大照院と並んで毛利氏の菩提寺である。 この寺には吉就のほか,五藩主および夫人の墓が多くの側室の墓と共に祠られている。 総門、三門,大雄宝殿,大方丈,鐘楼などが残っている。 藩主の墓地には家臣たちの寄進による石灯篭が約500基もあり、壮観そのものである。 この墓地では入り口の門より墓碑に至る参道が前後2段に分けられ、それぞれ13と7との「シキリ石」とされ,その上が5段の石段でなっており黄金比例定数がその割り出しに使われ,このほか遠近法が計算されているなど,墓地の荘厳さを出すための演出が素晴らしく、当時の園芸技術の水準の高さを知る事ができる。 8月15日の万灯会には石灯篭に灯がともされ,あたり一面が幽玄の世界となる。 |