■ | 舞鶴「田辺城」 |
安土・桃山時代の天正8年(1580)、丹後国は細川幽斎(藤孝)、忠興親子の領国となります。 細川氏は、現在の伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に田辺城を築きました。 これ以後、田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約290年間、領内統治の中心的存在でした。 明治6年田辺城は廃城とされ、本丸付近は現在舞鶴公園となっています。 また、「舞鶴」の地名は、田辺城の別称「舞鶴城」に由来しています。 (写真は、田辺城二層櫓「彰古館」…2013.6.29) |
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■ | 舞鶴赤レンガ倉庫群 |
旧海軍が築いた、美しい赤れんがの風景。 明治33年から大正10年頃までに建てられた多くの赤れんが倉庫。 市民が再生した当時の道は現在、赤れんがロードと呼ばれ、時代を感じさせる美しい風景が広がっています。 魚雷庫、倉庫など旧海軍関連の施設をはじめ トンネルや橋脚などの生活基盤まで、 舞鶴では日本が近代化を進めていくための礎としてさまざまな赤れんが建造物がつくられました。 それから100年余りの時を経た今もなお 舞鶴にはその近代化遺産が数多く残され、 当時の「ハイカラ」を感じさせるまちなみが続いています。 |
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