ベルリン、ブランデンブルグ門、テロのトポグラフィー
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ベルリンのシンボル的存在「ブランデンブルク門」

ベルリンのシンボル的存在、「ブランデンブルク門」

 

17世紀にプロイセン王国の首都として発展し、1920年代には欧州屈指の大都市に成長したベルリン。 東西分割の時代を乗り越えて20年、街は新たな輝きに溢れています。 ドイツの首都ベルリンは、ブランデンブルク門やベルリンの壁などの多くの観光スポットがあります。 人口約338万人(2012年現在)

(写真は、東西分断時には壁に囲まれいた「ブランデンブルク門」… 2015.5.15)



 

ドイツの首都ベルリンのシンボルとされているブランデンブルグ門は、高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mで、砂岩で出来ています。

パリ広場はベルリンの「応接間」と呼ばれ、広場周辺には洗練された都市の邸宅や大使館、高級ホテルアドロンが建っています。

ブランデンブルグ門

 
  1. ベルリンの都市門として唯一現存するブランデンブルク門は、かつては何よりも東西ベルリンの分断の象徴でしたが、壁の崩壊以降、ドイツ統一のシンボルとなりました。 更にこの砂岩でできた建造物は、ドイツ古典主義の最も美しい一例に数えられています。 1788年から1791年にかけて建設されました。 門の両面には、奥行き11mの横桁をささえる6本のドリス様式円柱が立ちならび、5本の通り抜け通路に分かれています。



 

テロのトポグラフィーのすぐ横に、ベルリンの壁が残っています。

ナチス時代に国家秘密警察(ゲシュタポ)や国家保安本部があった場所。当時行われたナチスの犯罪についての展示があります。

ベルリンの壁、東西冷戦時にベルリン市内を分断していた壁の存在はあまりにも有名です。 1989年11月9日に、ベルリンの壁が崩壊。(戦後40年以上 続いた冷戦に、事実上の終止符が打たれた。)

テロのトポグラフィー「ベルリンの壁」

 
  1. ニーダーキルヒナー通りある約200mの壁には、崩壊当時に空いた穴や鉄骨が生々しく残っています。 ベルリン市内に残る「壁」の中で一番長く、昼間は観光バスの流れが絶えない場所です。 広大な敷にiは、ナチス時代の本部があったところで、1987年から発掘された地下牢のスペースを使って、国家によるテロ、すなわちナチス時代の恐怖政治の歴史を伝える野外展示場になっています。



 

イシュタル門(青い釉薬瓦で、バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、オーロックスの浅浮き彫りなどが描かれている。)

側壁のライオン(行列通りに施されたライオンのレリーフ)

ペルガモン博物館

 
  1. シュプレー河の中州で、19世紀前半にフリートリヒ・ヴィルヘルム4世によってつくられた「博物館島」の中にある考古学博物館。 1930年に3翼の建物として構築されたペルガモン博物館が開館し、それまで様々な分野に分かれて研究されていた西アジア地方の古代文化遺産が、初めて一つにまとめられ、独立したコレクションとして紹介されました。 ギリシア神殿様式の左右両翼がある正面玄関を入ると、 この博物館を世界的に有名にした「ペルガモン大祭壇」があります。



 

壮大なドームが一際印象的な「ベルリン大聖堂」 ベルリンの壁1961-1989 ブランデンブルク門の上には、 勝利の女神像(ヴィクトリア)が四頭の馬に曳かせた古代ギリシャ式の戦車に乗っています。
東ドイツ時代からの人気名所。ベルリンで一番高い365mの塔、1969年に完成。 ベルリンの壁1961-1989(ベルリンの壁があったライン。) ブランデンブルク門の高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11m。
ペルガモン博物館(ミレトスの市場門) 壁の跡地に沿って本物の壁が展示されています。 近代的な建物テロのトポグラフィー
町中を走る、旧東ドイツ時代の車、段ボールボディの「トラバント」 「ホロコースト慰霊碑」虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための慰霊碑。 ベルリンのマンホールの蓋。(ベルリンの観光名所が描かれています。)
青「進行」 赤「停止」 ドイツは自転車専用道路が発達しています。

アンペルマンの信号機

 
  1. アンペルマンは旧・東ドイツ時代に誕生し、現在でもベルリンを中心に活躍している「歩行者用信号機」です。 60年代のモータリゼーションによる交通量の増加にともない、増える交通事故から歩行者を守るために、視認性に優れたこのデザインが誕生しました。 アタマでっかちの三頭身で、両手を拡げる「記号」としてのピクトグラムは、その光る面積も大きく「感情豊かに」歩行の停止を呼びかけます。 アンペルマンの「信号男」としての優れた点は、進行と停止を指示する意味を、青と赤の色彩による、単純な記号要素に置き換えただけでなく、表情や身振りによる非言語的要素を加えたことにあります。



 

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