友ヶ島散歩 友ヶ島灯台
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友ヶ島「第三砲台跡」

友ヶ島「名所探訪ハイキング」

 

紀淡海峡に浮かぶ南国の別天地、友ヶ島は、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の総称名です。 沖ノ島には、要塞時代を偲ばせる砲台跡が点在しています。 それらをめぐるハイキングコースも開かれており、純白の姿がコバルトブルーの海に見事に映える友ヶ島灯台、第2砲台跡をはじめ、展望台、第3砲台跡、桟橋をめぐる、約2時間30分。 風光明媚な散策コースとしても人気があります。

(写真は、友ヶ島「展望台」からの眺望… 2017.10.26)

友ヶ島汽船のHPは、http://tomogashimakisen.com/




第一砲台跡(第1砲台跡は島の西側に位置しており、友ヶ島灯台のすぐ近くにあります。) 第一砲台跡
子午線広場 友ヶ島灯台

子午線広場

 

友ヶ島灯台の西には「子午線広場」と呼ばれる芝生の広場が広がっています。 広場の西端は高さ40m程の断崖になって、その先には友ヶ島水道(紀淡海峡)が広がっています。 南は四国方面、西は淡路島、北は大阪湾の方まで視界が広がり、多くの船舶が往来するのが眺められます。 この広場には「日本標準時子午線・日本最南端の地」のプレートが立てられています。 明石市を通る東経135゜00'00"の日本標準時子午線が、友ヶ島の西ぎりぎりのこの場所を通っています。

友ヶ島灯台

 

紀淡海峡は昔から多くの船の出入りがあります。 友ヶ島灯台は、イギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した洋式灯台で、日本で8番目、明治5年(1872年)にできた洋風建築の灯台で、現在も稼働中です。 日本標準子午線(東経135度)のほぼ真上に位置する。 普段は灯台内部に入ることはできませんが、年に数回、灯台の一般公開が行われています。



 

孝助松海岸、潮だまりができていることから、貝やカニ、小魚などの観察ができます。 孝助松から蛇ヶ池が見えます。
島内は照葉樹林が道の上まで覆っており、木陰の中をハイキングすることができます。 タカノス山展望台

第二砲台跡

 

明治政府は経済の中心地である大阪を守るため、大阪湾口部である紀淡海峡周辺に強力な洋式砲台を設置することとしました。 要塞司令部が淡路島の由良地区に置かれたため総称として由良要塞と呼ばれます。 友ヶ島には第1〜第5の五か所に砲台が設置され、明治23年(1890)〜明治37年(1904)に竣工しています。 北側の防衛を目的して設置された第5砲台と第2砲台は、終戦後に爆破されていますが、全体として砲台の原型をよく留めており、明治期の国防の姿を今に伝えています。



 

全部で4つの砲座がありますが、その内のひとつが 整備され観光コースから簡単に降り れる様になっています。(注意、地下トンネルは真っ暗なので懐中電灯が必要です。) 島内最大の砲台が設置、直径3.5mの砲座2門。
最大の規模の第三砲台跡は友ヶ島一番の見所です。 将校宿舎から棲息掩蔽部に至るトンネル辺りが比較的整備されています。

第三砲台跡

 

友ヶ島内には第二次世界大戦まで使用された6つの砲台跡があります。 この第三砲台跡が最大の規模で友ヶ島のいちばんの見所となっており、観光案内などにも必ずと言って良い程ここの写真が使われています。 将校宿舎から棲息掩蔽部に至るトンネル辺りが比較的整備されています。 全部で4つの砲座がありますが、その内のひとつが整備され観光コースから簡単に降りれる様になっています。※終戦後、砲台は取り壊され、大砲は処分されましたが、島には今も砲台跡や弾薬庫跡などがあり、懐中電灯を持ってその中に入ることもできます。



 

友ヶ島灯台 友ヶ島灯台 砲台へ通じる地下トンネルの入口。
タカノス山展望台からの眺め(友ヶ島灯台を眼下) 弾薬庫 発電所跡
淡島神社の鳥居の内側、境内にある、しらす丼で有名な食堂です。 満幸商店  有名な山盛りのしらす丼「並、800円」

 

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