大洲城
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大洲城「木像天守」

大洲城

 

肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。 明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。 (写真は、大洲城「木像天守」… 2018.3.24) 

大洲城公式サイトは、http://www.ozucastle.jp/




肱川に沿って築かれた景勝の城跡で、1595年に藤堂氏が城主になったときに改築され、近代的な城郭となった。 大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって平成16年(2004年)に復元されました。
肱川の河畔に望む大洲城は、四層四階の複連結式天守。「観覧料大人:500円」 高欄櫓(大洲城の中で唯一2階に縁と高欄のある櫓で、城内が一望のもとに眺められます。)

 

大洲城の天守は、平成16年(2004)木造で復元されました。 肱川の河畔に望む大洲城。 大洲城から見渡す肱川と大洲市内。
中江藤樹先生像(寛永11年(1634)に 大洲を脱藩して、小川村に帰るまでの17年間を大洲で過ごしました。) 登城口(台所櫓) 戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さは日本一となります。
江戸期の木組み模型(天守雛形) 城郭建築特有の迫力ある木組。
一階の階段廻りには吹き抜けが設けられ、各階へ上る角度の急な階段も復元。 江戸時代から残る台所櫓 下台所(城内の食料庫としての機能を果たしていたと言われています。)

 

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