二本松城
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二本松城跡箕輪門前「二本松少年隊群像」
二本松城
 

二本松城は、福島県二本松市郭内にある日本の城(平山城)。 日本100名城の一つです。 別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれ、平成19年(2007年)7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定されました。 現在は、「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されています。

(写真は、二本松城跡箕輪門前「二本松少年隊群像」… 2020.7.16)

二本松城のHPは、http://www.nihonmatsu-ed.jp/nihonmatsujyou/



 

二本松少年隊群像 箕輪門のアカマツ
箕輪門は二本松城の正門。 戊辰戦争により落城 ・昭和57年(1868) 箕輪門、二階櫓、多門櫓が復興されました。
平成7年(1995)本丸の修復、復元が完了し石垣が整備されました。 標高345mの天守台からの眺望。

二本松少年隊群像

 

戊辰戦争―二本松の戦いにおいて、藩の兵力は仙台などの応援兵を合わせても僅かに約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人、徹底抗戦の末、1868年(慶応4・明治元年)7月29日正午前、ついに二本松城は炎上し、落城しました。
落城・敗戦は誰もが予想し得たことでしたが、奥羽越列藩同盟の信義のために貫いた二本松藩の守信玉砕戦は、他藩には見られない壮絶な最期でした。 戦死・負傷者の数は記録によって違いがあり、1890年(明治23)に調製された「戦死姓名簿」によると、二本松藩の戦死者337人・負傷者71人でした。 負傷者数が少ないのは自分を恥じて届出をしなかったためともいわれ、また他藩の戦死者は200人を超えたといいます。
旧二本松藩主丹羽家菩提所の大隣寺境内には、戊辰戦争殉難者の戦死群霊塔とともに、二本松少年隊隊長の木村銃太郎、副隊長の二階堂衛守と、少年隊戦死者14人の供養塔が建立されています。明治維新の夜明け前に、愛する郷土そして家族を守るため、激戦の末に可憐な花を散らし、義に殉じた少年隊士を弔う参詣者の献花と香煙は、今なおその悲劇を伝えています。



 

「霞ヶ城址」二本松城の別名は霞ヶ城。 立派な石垣に挟まれた箕輪門。 二本松城跡箕輪門のアカマツ
二本松城跡箕輪門のアカマツ 本丸駐車場(無料) 本丸枡形虎口
平成7年には本丸(天守台跡)の石垣が復元された。 標高345mの天守台からの眺望。 本丸跡平面図の石碑

 

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