安芸市観光 おすすめスポット
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野良時計

安芸市「野良時計」

 
  • 明治20年頃、この地の地主だった畠中源馬氏が、10歳の頃に父 に買ってもらったアメリカ製の八角時計を分解しては組み立て、構造を理解し、すべての部品から手作りで作りあげた。 以来、120年にわたって時を刻み続ました。 現在は、観光シーズンやイベント時などに所有者のご協力を得て動かしていただいています。 野良時計は個人の住居で、内部公開等はしていません。 外から外観を見学するのみとなります。 東側に駐車場(無料)があります。 (写真は、野良時計… 2012.11.3)




野良時計は、古めかしい蔵や民家、田んぼの中にたたずまいを見せている。「国の登録有形文化財に指定」 野良時計の隣にあるお店では、安芸名物「しらす丼」是非ご賞味あれ!
土居廓中(五藤家に仕える武士達が暮らした一角の武家屋敷が建ち並ぶ。 安芸城跡は、安芸平野のほぼ中央にあり、標高41m、東西100m、南北190mの長楕円形をした平山城の頂上からは、安芸平野や太平洋を一望できる。
「岩崎弥太郎生誕の地」石碑 岩崎弥太郎氏の生家

岩崎弥太郎生家

 
  • 天保5年12月11日、安芸郡井ノ口村に生まれる。 安政元(1854)年、大志を抱いて江戸遊学中に、父親が酒席の喧嘩がもとで投獄されたのをきっかけに帰省。 あまりに激しい免罪の訴えが奉行所の怒りを買い、彼自身も投獄される。 翌年出獄、追放処分となる。この頃吉田東洋と出会い、それを機に新たに飛躍の道を開いた。 東洋の死後は、後藤象二郎に登用され、藩の開成館や土佐商会でその手腕を発揮する。 明治3(1870)年開成館大阪商会が設立され、弥太郎が経営にあたる。 1ヶ月後、名称を九十九商会と改称。翌4年の廃藩置県に伴い、土佐藩所有の船舶の払い下げを受け、同5年、三ツ川商会と改名。同6年に三菱商会と改名、三菱財閥発展の基礎を作った。 弥太郎は三菱の創始者をして知られ幕末のイメージが薄いかもしれないが、実は海援隊の会計を担当していた経緯があり、坂本龍馬とも縁が深い。



 

岩崎弥太郎之生家 庭に残る日本列島の石組み。少年時代の弥太郎が天下飛雄の夢を託し、日本列島を模して作ったと伝えられている。 「岩崎弥太郎氏」江ノ川上公園に立つ銅像
2003年の星野阪神の優勝記念モニュメントの石碑 阪神タイガーズグッツ売場
安芸タイガース球場(安芸市営球場) 2012年、秋季キャンプ  安芸市のシンボル「野良時計」がマンホールの図柄に採用。

 

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