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高松塚古墳 |
国営飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区の東に位置する古墳です。 石室の壁画が有名で、特に色彩鮮やかな西壁の女子群像は、歴史の教科書などにも紹介されているのでご存知の方も多いでしょう。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。 当初は、盗掘を逃れ残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年〜710年)の間と確定されました。被葬者は特定されておらず、3つの主な説があります。 1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目され、その壁画は教科書等でもお馴染みです。 (写真は、高松塚古墳「西壁女子群像」復元模写…2024.3.18) 晴れ、最高気温13℃。 |
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● | 住所:奈良県高市郡明日香村大字平田439。 高松塚壁画館 0744-54-3340。 年中無休 営業時間9:00〜17:00。 入場料大人:300円。 駐車場無料。 |
● | アクセス :近鉄飛鳥駅から徒歩12分 、又はバス停「高松塚」。 |
● | 国営飛鳥歴史公園内「高松塚古墳」のHPは、https://www.asuka-park.jp/area/takamatsuzuka/tumulus/ |
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発見の経由 |
1962(昭和37)年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵しようと直径約60cmの穴を、現在の墳丘南側に掘ったところ、穴の奥で擬灰岩の四角い切石が見つかったことが発端となりました。 その後、1970(昭和45)年に古墳近くに遊歩道設置のための調査が必要となり、奈良県立橿原考古学研究所に発掘調査を依頼しました。 1972(昭和47)年3月に末永雅雄所長指揮の下、関西大学の網干善教助教授を中心とした関西大学と龍谷大学の研究者・学生グループによって高松塚古墳の発掘調査が始まりました。発掘開始から間もない3月21日には極彩色の壁画が発見されました。 古墳自体は鎌倉時代頃に盗掘を受けており、石室の南壁には盗掘孔が開けられていましたが、壁画の彩色は鮮やかに残り、盗掘をまぬがれた副葬品の一部もこの時検出されました。 極彩色壁画の出現は考古学史上まれにみる大発見として、26日に新聞に発表され、日本中でトップニュースとなりました。 発掘作業は、国家プロジェクトとなり、壁画発見からほどなく4月5日には文化庁に引き継がれました。その後1973(昭和48)年高松塚古墳は特別史跡に、また極彩色壁画は1974(昭和49)年に国宝に指定されました。 |
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文武天皇陵 |
天武天皇と持統天皇の孫にあたり、藤原京で即位し、大宝律令を制定した文武天皇がまつられている。高松塚古墳の南東方向に位置する。 僅か14歳にて天皇に即位し、祖母持統上皇が後見役として政務を執りました。 当時天皇に就くにはある程度の年齢と政務経験が必要とされましたので、異例の事です。 もっとも持統上皇にしては血が繋がった我が孫に皇位を継がせるには必要な事だったのかも知れません。 但しこの文武天皇も父親草壁皇子と同じく20代の若さて亡くなりました。辺りは長閑な田園風景が広がる場所です。 所在地:高市郡明日香村栗原 墳形:不明(直径28m、高さ約2m程)円墳とされる。現在は南北60m、東西80mの範囲に五角形に垣がめぐらされている。 石室:元々南に開口した横穴式石室が存在したらしい(塚穴またはジョウセン山と呼ばれていたらしい)文武陵に冶定される前は破壊され畑になっていたが1864年に修復され現在に至る。 |