日本三大山城のひとつ「岩村城跡」
岩村城は、大和の高取城(奈良県) 備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城で(財)日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。 城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれています。 (写真は、岩村城跡「六段壁」… 2017.4.5)
岩村城は、大和の高取城(奈良県) 備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城で(財)日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。 城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれています。
(写真は、岩村城跡「六段壁」… 2017.4.5)
名城と言われる由縁
この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。 1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。 700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものなのです。