紀貫之も訪れた「土佐・国分寺」
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。 とくに貫之が著した「土佐日記」は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。 聖武天皇(在位724〜49)が「金光明最勝王経」を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。 土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。 歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。 (写真は、国分寺「本堂と大師堂」… 2012.12.22)
道の駅南国の前を左折し、県道45号線に入ります。
約1km走り、バス停国分寺通りを右折し約400m走ると右手に見えてきます。